オランダ出身の歴史家でジャーナリストであるルトガー ・ブレグマン(Rutger Bregman)の「隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働」を、各章ごとに紹介しています。
第1章 過去最大の繁栄の中、最大の不幸に苦しむのはなぜか?
第2章 福祉はいらない、直接お金を与えればいい
第3章 貧困は個人のIQを13ポイントも低下させる
第4章では、ニクソン大統領が導入しようとしていた無条件のベーシックインカムが、なぜ実現しなかったのかについて説明しています。
アメリカで実現していたら、世界中の福祉政策に大きな変化があったと考えられるため、著者はかなりのページを割いて、解説しています。
4人家族に年間1600ドル、現在の価値にして年間1万ドルの現金を保障する計画でした。
この法律が成立すると、お金を持つことが基本的権利とみなされる社会が到来すると危惧した大統領補佐官のマーティン・アンダーソンは、ベーシックインカムは小さな政府と個人の責任の理想に反するものとして、反対しました。
そして、アンダーソンがこのとき持ち出したのが、150年前にイギリスで実施されていたスピーナムランド制度の報告書でした。
アンダーソンは、ニクソン大統領が計画を呼応評しようとしたその日に、「家族保障制度小史」と題した報告書を手渡し、ベーシックインカムの歴史を変えたのでした。
イギリスで革命が起こらないように、という理由が大きかったようですが、前年に凶作となったこともあり、社会を安定化させることが目的でした。
スピーナムランド制度は、生活保護の色合いが強いもので、最低限の生活ができる水準まで収入を補填するというものでした。
ごく一部ではじまった制度でしたが、イギリス全土に広がり、小ピットは国の法律にしようとしたほどでした。
いいかえれば、フランス革命の余波がヨーロッパ中に吹き荒れているときだからこそ、所得を補償する政策によって、革命の芽を摘み取ることが最優先だったとも言えます。
スピーナムランド制度がはじまる少し前、1786年に、教区牧師のジョゼフ・タウンゼンドは「救貧法に関する論考(Dissertation on the Poor Laws)」において、「貧者を労働に駆りたて奮起させるのは飢えのみであるにもかかわらず、わが国の法律は、彼らは決して飢えてはならないと謳っている」と批判しています。
また、キリスト教執事を目指したこともある経済学者のトマス・マルサスは、1798年に次のような理由をあげて、スピーナムランド制度が失敗すると予測します。
現代では、これらの批判が的外れであることを、統計学的に説明することが可能です。
キリスト教はその教義から、貧困層を求めているとしか思えない面があるので、18世紀の知識人がこのような意見を主張することも仕方がないことではありますが。
そもそも1830年の暴動は、実はデイビッド・リカードによる、金本位制にもどるべきという提言が原因でした。
そして、報告書によって、スピーナムランド制度の評価は「大失敗」とされましたが、1960年代~1970年代に歴史家が報告書を調べた結果、次のようなことが判明し、大部分がねつ造であることがわかりました。
第2章 福祉はいらない、直接お金を与えればいい
第3章 貧困は個人のIQを13ポイントも低下させる
第4章 ニクソンの大いなる撤退
第5章 GDPの大いなる詐術
第6章 ケインズが予測した週15時間労働の時代
第7章 優秀な人間が、銀行家ではなく研究者を選べば
第8章 AIとの競争には勝てない
第9章 国境を開くことで富は増大する
第10章 真実を見抜く1人の声が、集団の幻想を覚ます
終章 「負け犬の社会主義者」が忘れていること
第1章 過去最大の繁栄の中、最大の不幸に苦しむのはなぜか?
第2章 福祉はいらない、直接お金を与えればいい
第3章 貧困は個人のIQを13ポイントも低下させる
第4章では、ニクソン大統領が導入しようとしていた無条件のベーシックインカムが、なぜ実現しなかったのかについて説明しています。
アメリカで実現していたら、世界中の福祉政策に大きな変化があったと考えられるため、著者はかなりのページを割いて、解説しています。
隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働 | ||||
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第4章 ニクソンの大いなる撤退
無条件収入を保障する法律に着手していたニクソン大統領
1969年、アメリカのニクソン大統領は、すべての貧困家庭に無条件に収入を保障する法律の成立を目指していました。4人家族に年間1600ドル、現在の価値にして年間1万ドルの現金を保障する計画でした。
この法律が成立すると、お金を持つことが基本的権利とみなされる社会が到来すると危惧した大統領補佐官のマーティン・アンダーソンは、ベーシックインカムは小さな政府と個人の責任の理想に反するものとして、反対しました。
そして、アンダーソンがこのとき持ち出したのが、150年前にイギリスで実施されていたスピーナムランド制度の報告書でした。
アンダーソンは、ニクソン大統領が計画を呼応評しようとしたその日に、「家族保障制度小史」と題した報告書を手渡し、ベーシックインカムの歴史を変えたのでした。
スピーナムランド制度とは?
フランス革命直後の1795年、イギリスでスピーナムランド制度が導入されます。イギリスで革命が起こらないように、という理由が大きかったようですが、前年に凶作となったこともあり、社会を安定化させることが目的でした。
スピーナムランド制度は、生活保護の色合いが強いもので、最低限の生活ができる水準まで収入を補填するというものでした。
ごく一部ではじまった制度でしたが、イギリス全土に広がり、小ピットは国の法律にしようとしたほどでした。
いいかえれば、フランス革命の余波がヨーロッパ中に吹き荒れているときだからこそ、所得を補償する政策によって、革命の芽を摘み取ることが最優先だったとも言えます。
キリスト教関係者による反論
スピーナムランド制度に対しては、キリスト教の牧師や、キリスト教を強く支持する知識層が、さまざまな批判(的外れな)を展開します。スピーナムランド制度がはじまる少し前、1786年に、教区牧師のジョゼフ・タウンゼンドは「救貧法に関する論考(Dissertation on the Poor Laws)」において、「貧者を労働に駆りたて奮起させるのは飢えのみであるにもかかわらず、わが国の法律は、彼らは決して飢えてはならないと謳っている」と批判しています。
また、キリスト教執事を目指したこともある経済学者のトマス・マルサスは、1798年に次のような理由をあげて、スピーナムランド制度が失敗すると予測します。
- 人間が生きるためには食料が必要である。
- 男女間の欲情を消すことはできない。
ゆえに、「国民はできるだけ早く結婚しようとし、多くの子どもを持とうとするため、人口増加がかならず食糧生産を上回る」と結論しました。
マルサスの親友のデイビッド・リカードも、「所得保障制度は勤労意欲を低め、食糧生産を減少させ、イギリスにフランス流の革命をもたらす」と主張したのでした。
現代では、これらの批判が的外れであることを、統計学的に説明することが可能です。
キリスト教はその教義から、貧困層を求めているとしか思えない面があるので、18世紀の知識人がこのような意見を主張することも仕方がないことではありますが。
スピーナムランド制度の政府報告書はねつ造されたものだった!
1830年に、農民による暴動が各地で発生し、イギリス政府は1832年に、スピーナムランド制度を評価する調査を開始し、13000ページにもおよぶ報告書を作成しました。そもそも1830年の暴動は、実はデイビッド・リカードによる、金本位制にもどるべきという提言が原因でした。
そして、報告書によって、スピーナムランド制度の評価は「大失敗」とされましたが、1960年代~1970年代に歴史家が報告書を調べた結果、次のようなことが判明し、大部分がねつ造であることがわかりました。
- 受益者(貧困者)に配布された質問状の回答率は10%
- 質問は誘導的で、選択肢が限られており、
- 聞き取り対象者が受益者(貧困者)ではなく、
- 書かれた証拠は、牧師から出されたもので「貧者は狡猾になり、怠惰になる」という前提で書かれていた。
スピーナムランド制度を「大失敗」とすることで得する人々
しかし、150年前のねつ造報告書は、社会学や政治学などの方面で、その後も重要な役割を果たし、カール・マルクスやレーニンといった当時の知識層に支持され、間違った結論が長い間、多くの人々に信じられ続けたのでした。
スピーナムランド制度が失敗であるという伝説のおかげで、自己調整する自由市場というアイデアを広める良い材料となりました。
そして、1834年にスピーナムランド制度が完全に廃止されて、イギリスの産業革命にとっては大歓迎の、安い労働力が大量に供給されるようになります。
貧困に苦しむ人々に対する福祉コストは半分に減らされ、救貧院に収容され、奴隷労働を強制されました。
女性は妊娠しないように飢えさせられましたが、救貧院そのものが飢える場所でした。
その結果、仕事がまだある貧困者は、救貧院に入りたくないため失業を恐れ、雇用主は賃金をおどろくほど安くできたのでした。
しかし、スピーナムランド制度は、猛烈なスピードで変化する世界にあって安心感をもたらし、貧困に取り組む効果的な手段であったと考えられるのです。
フランス革命から産業革命へとなだれ込む150年前と、AI(人工知能)が労働市場に入ってくる現代とは、どちらも猛烈なスピードで変化する世界だといえないでしょうか。
貧困のない生活は誰もが得られる権利ではない
ニクソン大統領によるベーシックインカム導入が失敗すると、貧困のない生活は働いて手に入れるべき、とする考え方が強まってきます。
失業は、雇用されるための技能を磨かなかった失業者の責任だ、とするものです。
1996年、クリントン大統領が社会保障への支援を打ち切り、貧困層への支援は、国の義務ではなく行為と考えられるようなレベルに落ち込みます。
この結果、アメリカの子どもの貧困は、1964年当時まで戻ってしまいました。
そして、複雑で官僚的な福祉政策は、面倒な手続きや手順ばかりが重視されて、かえって貧困者に不満を与え、怠け者にし、たかり屋にするような制度となってしまっていると、著者は指摘します。
「貧しい人々がいるところには必ず、彼らは劣っていて役に立たないことを論証しようとする富裕な人々がいるものだ」Matt Bruenig(2014)
第5章につづきます。
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第3章 貧困は個人のIQを13ポイントも低下させる
第4章 ニクソンの大いなる撤退
第5章 GDPの大いなる詐術
第6章 ケインズが予測した週15時間労働の時代
第7章 優秀な人間が、銀行家ではなく研究者を選べば
第8章 AIとの競争には勝てない
第9章 国境を開くことで富は増大する
第10章 真実を見抜く1人の声が、集団の幻想を覚ます
終章 「負け犬の社会主義者」が忘れていること
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