【垣根涼介】「信長の原理」

信長の原理」読了。



光秀の定理」につづく、織田信長を主人公とした物語、のはずなのですが、後半は明智光秀が主人公なのか?とおもうほどです。


これがシリーズだとすれば、「光秀の定理」「信長の原理」ときて、つぎは「秀吉の公理」となるのかもしれません。


蟻の法則

信長の原理」では、織田信長が、自然のなかから見出した、蟻の法則が登場します。

蟻やハチなど、社会的な昆虫において観察される、良く働く個体と働かない個体の法則です。

物語のなかでは、次のように説明されています。

良く働く蟻:2割

働く蟻に追従する日和見の蟻:6割

働いているふりをする蟻:2割

信長は、戦闘においても、この蟻の法則が見て取れることに早くから気づいていた、というのが、物語の骨子となります。

蟻の法則の恐ろしいところは、良く働く蟻(ハチ)だけを集めても、おなじように2:6:2=1:3:1の割合になることです。

この自然の摂理ともいえる法則が、織田信長を悩ませ、最後には次のように結論します。

10人いたら常に優秀な者は2人しか残らない。

5人いたら、一人は裏切る。

この法則が、信長の原理となっている、というのが「信長の原理」のテーマなのです。

織田信長が、優秀な人材を幅広く登用し、優秀な人材をどんどん出世させたのは史実です。

また一方で、松永久秀、荒木村重は裏切り、佐久間信盛や林秀貞は追放されます。

これらに対する回答が、信長の考え方にある、ということを見事に描いている物語といえます。



効率を求める織田信長

織田信長に関する研究書を読むと、織田信長が、合理的であり、かつ効率重視であったことがわかります。

合理主義=効率重視

と考えがちですが、これが組織や人間関係になると、そうは簡単に判断できるものではありません。

ところが、織田信長は家臣に対しても効率を重視しており、その原理となっているのが、先に書いた蟻の法則なのです。

実際、織田信長は、家臣を休まず働かせることにおいては天才的な人物です。

少々の手柄を上げたから安泰、ということにはならないのが織田家中でした。

今なら、働かせすぎで、うつ病患者続出のブラック企業といったところでしょうか。

だから、松永久秀も荒木村重も、織田信長にはついていけない、とばかりに、去らなければなりませんでした。

また、古参の家老であった佐久間信盛、林秀貞のように、内紛絶えない織田家において、信長を後継者として早くから認め支えてきた者であっても、働きが悪くなって、高禄を喰む者はムダであると断罪して、放逐するのです。

このあたりの説明が、「信長にとって必要な人材かどうか」「信長が考えるパフォーマンスを出しているかどうか」だけで判断されると結論づけています。

史実を丁寧に追いかけたときの「WHY?」に対する答えを、「信長の原理」では描き出しているのです。




『麒麟がくる』の参考書としても

信長の原理」が優れている点は、織田信長の戦歴や外交について、抜粋してわかりやすく示している点でしょう。

織田信長の戦歴について、歴史研究家が書いている本を読んでいると、時々こんがらがってくるのですが、それがありません。

織田信長の考え方がベースにあるので、非常にスッキリとしていて、わかりやすいのです。

信長と松永久秀との関係については、かなりのページが割かれていますが、「なるほど、こういうことかも」と納得しやすいのです。

大河ドラマ『麒麟がくる』は、足利義昭が登場してきましたので、話がもっと複雑になってきます。

『麒麟がくる』の副読本としても、おすすめです。



明智光秀の謀反はなぜ?

信長の原理」では、幼少期から本能寺の変まで、織田信長が描かれています。

当然ながら、明智光秀が、なぜ謀反を起こさなければならなかったのか、その理由も描かれています。

しかし、明智光秀は、こんな迂闊な人物だろうか?と少々疑問に感じました。

織田家のトップを走る明晰な頭脳の持ち主が、こんなことをするだろうか、と。

ネタバレになりますが、書いておきます。

光秀は、信長に、家臣(斎藤利三)の切腹を命じられて悩みます。

そして、2つのプランを思いつきます。

ひとつは、光秀本人が斎藤利三に成り代わって自害するというもの。

これは、明智家にとって先のない選択肢だと、最終的に結論します。

もうひとつが、少ない家臣を連れて本能寺にいる織田信長を、弑逆すること。

これも、重臣たちと相談した結果、破棄され、斎藤利三を家臣から外して、しばらく時を置くという結論にいたりました。

しかし、結果は逆転し、本能寺の変となります。

その理由は、明智光秀が5人の重臣に相談してしまったから。

それだけの人間に話をしてしまったのなら、いずれ信長の耳に入るだろう。

それまで待って、信長に明智家が滅ぼされるより、信長を亡き者にすべし、という最後なのです。

優秀な明智光秀が、いくら悩み混乱していたといっても、ここまで迂闊かな、と疑問に感じました。

もっとも、年齢的には、当時としては高齢でもあり、レビー小体型認知症を患っていた可能性もあるというくらいなので、耄碌しているという設定なのかもしれませんが。

次は「秀吉の公理」だと思うので、楽しみにしています。


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