「完全版 本能寺の変 431年目の真実」読了。
著者は、明智光秀の子・於寉丸(おづるまる)の子孫で、三菱電機でシステムエンジニアとして活躍なさった方です。
実は、この本が単行本で出版されたときに、買おうかな~、読もうかな~と思っていたのですが、明智光秀の子孫が書いたという触れ込みのために、買うのをやめました。
身内が書いたなら身びいきが過ぎるんじゃないだろうか?
と思ったからです。
しかし、ページを開いたら、いきなり「仮説的推論法」の説明があります。
この人は理系の方?
と思って、文庫本の袖に書かれた著者略歴を読んで、納得しました。
システムエンジニアなら、論理的に説明してくれるだろうと、購入しました。
完全版と銘打っているので、この文庫本が内容が濃くて、おトクです。
NHK大河ドラマで、本能寺の変が、確たる根拠もなく描かれていることに、憤りを感じておられたのだと思います。
そのたびに、明智光秀の子孫と名乗るリスクも高まったのではないかと、勝手に想像してしまいました。
2020年の大河ドラマの主人公は明智光秀と決まっています。
明智光秀を主人公にするからには、かなり深掘りした情報と新事実があったからなのだろうと推測していましたが、発端は本書が2009年に単行本化されたことなのかもしれません。
明智光秀の子孫から売られたケンカを、天下のNHKが買ったから、大河ドラマ・明智光秀が登場することになったのではないかと、ちょっとワクワクしました。
著者は、この史料こそが、真実を捻じ曲げていると何度も指摘します。
そして、この史料を編纂した高柳光寿という戦国時代の研究者が、中国大陸に進出したい日本軍の考えを忖度して、「大日本史料」をまとめたのであると断言しています。
まあ、あり得る話です。
昭和10年代の尋常小学校の教科書には、「唐入り」しようとした豊臣秀吉を称賛するような内容が教科書に書かれていたそうです。
戦意高揚のためでしょう。
中国大陸に野心があった当時、中国進出はいけません、などという情報は入れられなかったのかもしれません。
そして、高柳光寿という人は東京大学史料編纂所に定年まで在籍しつづけ、昭和33年に『明智光秀』を出版し、世間の明智光秀像を決定づけてしまったというのです。
それを加速させたのが、NHKの大河ドラマだったということです。
書かせたのは豊臣秀吉。
著者の表現では「三面記事」レベルに書き換えられ、政治的な意図をすべて隠匿することを目的としていたのです。
著者は、『惟任退治記(これとうたいじき)』のウソを、当時の人々の日記から指摘。
連歌のルールまで解説して、明智光秀が愛宕神社で連歌の会を開いた日を天気から割り出しています。
これぞファクトチェック!
豊臣秀吉は、調略において天才的だったと当時から知られていますし、ウソの情報を流すことで戦局を有利に運ぶことができることを知っていました。
今風に言えば、フェイクニュースの達人だったのです。
信長の構造改革とは、配下の武将を各方面団トップにたて、地方に派遣し、その後は海外征服の先兵としようとしたこと。
実際、信長は、本能寺の変が起こる天正10年の少し前から、近畿地方を中心に息子たちの所領にし、配下の武将たちを遠隔地に移しています。
光秀は、土岐氏の再興と一族の存続を考え、海外派兵を考えている信長を殺すことで解決しようとしたというのです。
信長は、武田家滅亡後に富士山遊覧と称して、徳川家康の領地内を見て歩き、徳川家康討伐の下見をしていました。
その討伐軍を率いる予定だった光秀と、だまし討ちにされるかもしれないという危機感をもった家康が手を組みます。
細川藤孝は、姻戚関係にあり、光秀配下の武将ではありましたが、もとを正せば、明智光秀は細川藤孝の部下だった人間です。
これを不満に思っていただろう細川藤孝は、秀吉に内通し、明智光秀に合流する約束を反故にします。
秀吉は、本能寺の変が起こることを事前に知っており、これを利用して天下人に成り上がります。
これは、明智光秀と同盟したときの作戦であり、のちに問題とならなかったのは、秀吉が『惟任退治記(これとうたいじき)』を書かせて、関係者に真実を語らせないようにしたためだと説明しています。
細川家は、かつての家臣の光秀の風下に立つことをよしとせず、反光秀の立場で秀吉を助けたからです。
さらに細川家は、徳川時代にも厚遇され、石高は50万石を越えます。
これは、秀吉・家康・藤孝の3者間で密約が取り交わされた結果であるとしています。
漁夫の利を得たような形になりますが、裏には周到な準備があり、信長の配下の武将であるかぎり、自分も使い捨てられるという危機感を、光秀同様に持っていたはずです。
そのため、謀反に加担した家康を取り込み、丸く収めようとしました。
しかし、秀吉一代の栄華で豊臣政権が終わってしまったのは、信長のように家康を排除しようとしなかったから。
信長は、織田家の邪魔になる家康を、本能寺で抹殺する予定だったのです。
今でも、お父さんから1字もらうなんてことはよくありますが、江戸時代までは大名間の関係の深さが偏諱に現れていました。
たとえば、信長の信の1字をもらっている人物は、信長とは協力関係にあるか、または配下にある人物になります。
家康は、孫の家光に、自分の名前から「家」、光秀の名前から「光」の字をとって家光にしたと著者は説明しています。
家康は、土岐明智氏の再興も行っており、その後、現代にまで土岐氏は存続しています。
さらに、家光の乳母と言われる春日局(福)の異例の抜擢も、明智光秀の片腕であった斎藤利三の娘だったから。
そして、家光は、実は春日局が生母であったと明かします。
なんと「東照宮様御文」の文末に、そのような記述があるのだそうです。
家康のコンサルタントだったといわれる天海僧正が光秀ではないのか、という都市伝説がありますが、家康が光秀に対して、少なくとも好意を持っていることは、明らかなようです。
日本史の専門家ではありません。
そんな人が、東京大学史料編纂所の「大日本史料」がまとめられた時代背景から、史料そのものの信頼性を批判し、数多くの文書の中から、同時代人がどのように本能寺の変を見ていたのかを明らかにしています。
論理的に本能寺の変を解明し、政治という目で見直したとき、まったく異なるものが見えてきたと宣言した著者に対し、NHKは総力をあげて検証し、新しい本能寺の変を描き出そうとしているのではないでしょうか。
なにしろ、NHKには、東京大学史料編纂所関係者から、数々の歴史学者などの専門家を集め、明智光秀をテーマにしたプロジェクトを立ち上げる力もお金もあります。
「大河ドラマは全部ウソ!」呼ばわりされたのですから、売られたケンカは買うのでしょう。
「完全版 本能寺の変 431年目の真実」は、現代人にも理解できる、戦国大名のパワーバランスを明らかにしています。
多少の身びいきは感じるものの、大筋において同意です。
NHKには、誰もが納得する、本書を上回る規模の明智光秀を描き出してほしいと期待します。
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【安部龍太郎】「信長はなぜ葬られたのか 世界史の中の本能寺の変」
【谷口 克広】「織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで」
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著者は、明智光秀の子・於寉丸(おづるまる)の子孫で、三菱電機でシステムエンジニアとして活躍なさった方です。
実は、この本が単行本で出版されたときに、買おうかな~、読もうかな~と思っていたのですが、明智光秀の子孫が書いたという触れ込みのために、買うのをやめました。
身内が書いたなら身びいきが過ぎるんじゃないだろうか?
と思ったからです。
しかし、ページを開いたら、いきなり「仮説的推論法」の説明があります。
この人は理系の方?
と思って、文庫本の袖に書かれた著者略歴を読んで、納得しました。
システムエンジニアなら、論理的に説明してくれるだろうと、購入しました。
完全版と銘打っているので、この文庫本が内容が濃くて、おトクです。
NHK大河ドラマが間違った本能寺の変を喧伝した
著者である明智憲三郎さんは、1972年に慶應義塾大学大学院工学研究科修了とありますから、70歳前後になっているはず。NHK大河ドラマで、本能寺の変が、確たる根拠もなく描かれていることに、憤りを感じておられたのだと思います。
そのたびに、明智光秀の子孫と名乗るリスクも高まったのではないかと、勝手に想像してしまいました。
2020年の大河ドラマの主人公は明智光秀と決まっています。
明智光秀を主人公にするからには、かなり深掘りした情報と新事実があったからなのだろうと推測していましたが、発端は本書が2009年に単行本化されたことなのかもしれません。
明智光秀の子孫から売られたケンカを、天下のNHKが買ったから、大河ドラマ・明智光秀が登場することになったのではないかと、ちょっとワクワクしました。
戦前に整備された「大日本史料」
「完全版 本能寺の変 431年目の真実」を読むまで知りませんでしたが、日本史の研究者が史料とするのは、東京大学史料編纂所の「大日本史料」なのだそうです。著者は、この史料こそが、真実を捻じ曲げていると何度も指摘します。
そして、この史料を編纂した高柳光寿という戦国時代の研究者が、中国大陸に進出したい日本軍の考えを忖度して、「大日本史料」をまとめたのであると断言しています。
まあ、あり得る話です。
昭和10年代の尋常小学校の教科書には、「唐入り」しようとした豊臣秀吉を称賛するような内容が教科書に書かれていたそうです。
戦意高揚のためでしょう。
中国大陸に野心があった当時、中国進出はいけません、などという情報は入れられなかったのかもしれません。
そして、高柳光寿という人は東京大学史料編纂所に定年まで在籍しつづけ、昭和33年に『明智光秀』を出版し、世間の明智光秀像を決定づけてしまったというのです。
それを加速させたのが、NHKの大河ドラマだったということです。
フェイクニュースの発信源は豊臣秀吉
『惟任退治記(これとうたいじき)』という書物が、本能寺の変のわずか4ヶ月後に大村由己(おおむらゆうこ)によって書かれ、これが本能寺の変のフェイクニュースであると指摘します。書かせたのは豊臣秀吉。
著者の表現では「三面記事」レベルに書き換えられ、政治的な意図をすべて隠匿することを目的としていたのです。
著者は、『惟任退治記(これとうたいじき)』のウソを、当時の人々の日記から指摘。
連歌のルールまで解説して、明智光秀が愛宕神社で連歌の会を開いた日を天気から割り出しています。
これぞファクトチェック!
豊臣秀吉は、調略において天才的だったと当時から知られていますし、ウソの情報を流すことで戦局を有利に運ぶことができることを知っていました。
今風に言えば、フェイクニュースの達人だったのです。
明智光秀は一族の滅亡を阻止したかった
著者の明智憲三郎さんによる、本能寺の変の真相は次のようなものです。<原因・理由>
明智光秀は、織田信長の側近として異例の出世を遂げましたが、織田信長の構造改革が進めば、土岐明智一族は滅亡すると考えました。信長の構造改革とは、配下の武将を各方面団トップにたて、地方に派遣し、その後は海外征服の先兵としようとしたこと。
実際、信長は、本能寺の変が起こる天正10年の少し前から、近畿地方を中心に息子たちの所領にし、配下の武将たちを遠隔地に移しています。
光秀は、土岐氏の再興と一族の存続を考え、海外派兵を考えている信長を殺すことで解決しようとしたというのです。
<謀反の関係者>
明智光秀は、徳川家康と同盟を組み、姻戚関係にある細川藤孝を招き入れました。信長は、武田家滅亡後に富士山遊覧と称して、徳川家康の領地内を見て歩き、徳川家康討伐の下見をしていました。
その討伐軍を率いる予定だった光秀と、だまし討ちにされるかもしれないという危機感をもった家康が手を組みます。
細川藤孝は、姻戚関係にあり、光秀配下の武将ではありましたが、もとを正せば、明智光秀は細川藤孝の部下だった人間です。
これを不満に思っていただろう細川藤孝は、秀吉に内通し、明智光秀に合流する約束を反故にします。
秀吉は、本能寺の変が起こることを事前に知っており、これを利用して天下人に成り上がります。
<本能寺の変で利益を得た者は?>
徳川家康
伊勢越えをして居城に戻った家康は、甲州・信濃方面に軍を出し、武田領の織田軍を追い出し、勝手に自らの所領としました。これは、明智光秀と同盟したときの作戦であり、のちに問題とならなかったのは、秀吉が『惟任退治記(これとうたいじき)』を書かせて、関係者に真実を語らせないようにしたためだと説明しています。
細川藤孝・忠興
秀吉は、明智一族はことごとくく殺しているにもかかわらず、忠興の正室で光秀の娘であるガラシャ(玉)を殺さないだけでなく、藤孝には光秀の所領であった丹波を与え、関係者を厚遇しています。細川家は、かつての家臣の光秀の風下に立つことをよしとせず、反光秀の立場で秀吉を助けたからです。
さらに細川家は、徳川時代にも厚遇され、石高は50万石を越えます。
これは、秀吉・家康・藤孝の3者間で密約が取り交わされた結果であるとしています。
豊臣秀吉
織田家から何もかも奪い取ったわけですから、最も利益を獲得した人物です。漁夫の利を得たような形になりますが、裏には周到な準備があり、信長の配下の武将であるかぎり、自分も使い捨てられるという危機感を、光秀同様に持っていたはずです。
そのため、謀反に加担した家康を取り込み、丸く収めようとしました。
しかし、秀吉一代の栄華で豊臣政権が終わってしまったのは、信長のように家康を排除しようとしなかったから。
信長は、織田家の邪魔になる家康を、本能寺で抹殺する予定だったのです。
偏諱(へんき)が語る光秀と家康の約束
偏諱とは、名前に1字、自分の親とか上司とかからもらうことです。今でも、お父さんから1字もらうなんてことはよくありますが、江戸時代までは大名間の関係の深さが偏諱に現れていました。
たとえば、信長の信の1字をもらっている人物は、信長とは協力関係にあるか、または配下にある人物になります。
家康は、孫の家光に、自分の名前から「家」、光秀の名前から「光」の字をとって家光にしたと著者は説明しています。
家康は、土岐明智氏の再興も行っており、その後、現代にまで土岐氏は存続しています。
さらに、家光の乳母と言われる春日局(福)の異例の抜擢も、明智光秀の片腕であった斎藤利三の娘だったから。
そして、家光は、実は春日局が生母であったと明かします。
なんと「東照宮様御文」の文末に、そのような記述があるのだそうです。
家康のコンサルタントだったといわれる天海僧正が光秀ではないのか、という都市伝説がありますが、家康が光秀に対して、少なくとも好意を持っていることは、明らかなようです。
2020年大河ドラマ「明智光秀」はNHKの総力をあげた返書
明智憲三郎さんは、最初に書いたとおり、システムエンジニアです。日本史の専門家ではありません。
そんな人が、東京大学史料編纂所の「大日本史料」がまとめられた時代背景から、史料そのものの信頼性を批判し、数多くの文書の中から、同時代人がどのように本能寺の変を見ていたのかを明らかにしています。
論理的に本能寺の変を解明し、政治という目で見直したとき、まったく異なるものが見えてきたと宣言した著者に対し、NHKは総力をあげて検証し、新しい本能寺の変を描き出そうとしているのではないでしょうか。
なにしろ、NHKには、東京大学史料編纂所関係者から、数々の歴史学者などの専門家を集め、明智光秀をテーマにしたプロジェクトを立ち上げる力もお金もあります。
「大河ドラマは全部ウソ!」呼ばわりされたのですから、売られたケンカは買うのでしょう。
「完全版 本能寺の変 431年目の真実」は、現代人にも理解できる、戦国大名のパワーバランスを明らかにしています。
多少の身びいきは感じるものの、大筋において同意です。
NHKには、誰もが納得する、本書を上回る規模の明智光秀を描き出してほしいと期待します。
<関連の投稿>
【安部龍太郎】「信長はなぜ葬られたのか 世界史の中の本能寺の変」
【谷口 克広】「織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで」
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