「戦国秘譚 神々に告ぐ」読了。
作家・安部龍太郎さんの「信長はなぜ葬られたのか 世界史の中の本能寺の変」を読んで、手に取りました。
文庫の上下巻で、物語は長いのですが、その長さを感じさせない、スピード感があります。
その近衛前久という公家筆頭の人物を主人公に、信長がまだ美濃の斎藤義龍を倒していない頃の、史実をもとにした物語です。
このときの近衛前久にとっての最大のテーマは、
なぜファンタジーなのかといえば、天皇も公家も、清浄な身をもって神々に仕え、交信するからです。
そんな公家の一面を、端的に表すためだと思いますが、近衛前久は、禁を破って生まれた内親王と交信できるようになってしまいます。
内親王は、帝を呪詛し、呪い殺そうとするのですが、人の心が読める内親王の力が近衛前久にも宿ります。
そして、三好長慶を倒そうとする近衛前久の計略が、内親王を通じて得た能力から、内親王に漏れ伝わってしまうのです。
そもそも神々と交信する天皇、公家という存在を表現するためには、ファンタジーに頼らなければならなかたのではないでしょうか。
もともとファンタジーは嫌いではないので、わたしには、「なるほど公家とはこういう存在であったか」と納得できる展開でした。
物語のクライマックスでは、戦国時代に実際におこなわれた密教の修法が、近衛前久のまえに立ちはだかります。
近衛前久は、自らの命をかけて正親町天皇を守るため、呪い殺そうとする内親王を止めようと雪深い神護寺に向かいます。
神護寺は、京都市街から離れた、紅葉で有名な古刹です。
この神護寺に向かうと、そこは松永久秀が周囲を守り、近衛前久は松永久秀によって捉えられてしまいます。
正親町天皇の即位の礼は翌日の早朝です。
そして、なぜかここに、若き日の信長が助けに入り、即位の礼に近衛前久は間に合うのですが、呪いは止めることが出来ず・・・。
一方の織田信長は、神だろうが仏だろうが、自分の邪魔をするもの、自分を裏切るものはすべて排除するという考えの持ち主です。
織田信長が、歴史上の端役にすぎない時代の物語であるためか、本作では、織田信長と同じような考えの持ち主として松永久秀が主要な役割を担って登場しています。
歴史上も、織田信長と近衛前久は、本当に気があったようなのです。
本作では、ほんの若造の織田信長なので、年齢も近い近衛前久に興味を持ち、友人として接します。
そして、この後、近衛前久が織田信長を暗殺することを匂わせながら、物語は進んでいきます。
「戦国秘譚 神々に告ぐ」は、後奈良天皇の崩御から正親町天皇の即位の礼までの期間、1557年から1560年までの期間を、近衛前久の視点で丹念に描いています。
足利幕府が都になく、三好家が実質的に都を支配し、天皇家は貧困にあえいでいた時代です。
本書で取り上げたわずか数年のことを、「御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)」を史料として読み解き、近衛前久の動向を描き出しています。
「御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)」とは、宮廷記録のひとつで、天子に近侍する女官が記した当番日記のことです。
後土御門天皇から霊元天皇まで、天皇の動静を中心に、行事や任官、将軍以下の参内の様子などが記されていて、皇室史の史料としては第一級のものとして知られています。
皇室から戦国時代を読むという試みを、近衛前久を主人公とすることで物語としてもおもしろく、また皇室や公家の真髄、その存在意義を書き表したと言える作品です。
スピード感もあり、ファンタジーの要素もあるので、普段は歴史小説を読まない人にもおすすめできます。
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【安部龍太郎】「信長はなぜ葬られたのか 世界史の中の本能寺の変」
【不二 龍彦】 生前退位問題も詳しくわかる「歴代天皇大全」
【中野信子/本郷和人】「戦国武将の精神分析」
作家・安部龍太郎さんの「信長はなぜ葬られたのか 世界史の中の本能寺の変」を読んで、手に取りました。
文庫の上下巻で、物語は長いのですが、その長さを感じさせない、スピード感があります。
近衛前久が主人公
著者の安部龍太郎さんは、本能寺の変は、近衛前久が計画し、明智光秀が実行したという説を、はじめて作品を通じて世に問うた方。その近衛前久という公家筆頭の人物を主人公に、信長がまだ美濃の斎藤義龍を倒していない頃の、史実をもとにした物語です。
このときの近衛前久にとっての最大のテーマは、
- 将軍・足利義輝を都に戻し、将軍として天下に号令させること
- そのためには三好長慶を倒すこと
- そして、正親町天皇の践祚と即位の礼を行うこと
の3つです。
当時の天皇家および公家は、超がつくほどに貧乏な時代です。
正親町天皇の前の天皇である後奈良天皇は、即位の礼をおこなうまで10年もの時間がかかっています。
その原因は、お金がないから。
そして、お金がないのは、天皇家や公家の所領を、戦国大名が勝手に私物化し、税収が亡くなったからです。
そんな時代に生まれても、近衛家は島津家から正式なルートで納付があったため、お金には不自由はしていませんでした。
そんな近衛前久を、行動する公家、暗躍する公家として描いています。
神々と交信する天皇と公家
歴史小説の多くと異なり、「戦国秘譚 神々に告ぐ」はファンタジーの側面があります。なぜファンタジーなのかといえば、天皇も公家も、清浄な身をもって神々に仕え、交信するからです。
そんな公家の一面を、端的に表すためだと思いますが、近衛前久は、禁を破って生まれた内親王と交信できるようになってしまいます。
内親王は、帝を呪詛し、呪い殺そうとするのですが、人の心が読める内親王の力が近衛前久にも宿ります。
そして、三好長慶を倒そうとする近衛前久の計略が、内親王を通じて得た能力から、内親王に漏れ伝わってしまうのです。
そもそも神々と交信する天皇、公家という存在を表現するためには、ファンタジーに頼らなければならなかたのではないでしょうか。
もともとファンタジーは嫌いではないので、わたしには、「なるほど公家とはこういう存在であったか」と納得できる展開でした。
戦国時代は呪術も戦いのひとつ
戦国時代は、護摩壇を築いて、敵の大将を呪い殺すことも戦い方のひとつでした。物語のクライマックスでは、戦国時代に実際におこなわれた密教の修法が、近衛前久のまえに立ちはだかります。
近衛前久は、自らの命をかけて正親町天皇を守るため、呪い殺そうとする内親王を止めようと雪深い神護寺に向かいます。
神護寺は、京都市街から離れた、紅葉で有名な古刹です。
この神護寺に向かうと、そこは松永久秀が周囲を守り、近衛前久は松永久秀によって捉えられてしまいます。
正親町天皇の即位の礼は翌日の早朝です。
そして、なぜかここに、若き日の信長が助けに入り、即位の礼に近衛前久は間に合うのですが、呪いは止めることが出来ず・・・。
友としての織田信長と近衛前久
本作の主人公の近衛前久は、天皇家と、天皇家がまもる神々との約束のようなものを守らなければ日本という国はない、と考え、実行する人物です。一方の織田信長は、神だろうが仏だろうが、自分の邪魔をするもの、自分を裏切るものはすべて排除するという考えの持ち主です。
織田信長が、歴史上の端役にすぎない時代の物語であるためか、本作では、織田信長と同じような考えの持ち主として松永久秀が主要な役割を担って登場しています。
歴史上も、織田信長と近衛前久は、本当に気があったようなのです。
本作では、ほんの若造の織田信長なので、年齢も近い近衛前久に興味を持ち、友人として接します。
そして、この後、近衛前久が織田信長を暗殺することを匂わせながら、物語は進んでいきます。
皇室史料から戦国時代を読む
織田信長のことを知るために、わたし自身、いろいろな本を読んでいますが、三好三人衆や松永久秀との関係性については、本願寺や一向一揆なども絡んできて、なかなか理解できませんでした。「戦国秘譚 神々に告ぐ」は、後奈良天皇の崩御から正親町天皇の即位の礼までの期間、1557年から1560年までの期間を、近衛前久の視点で丹念に描いています。
足利幕府が都になく、三好家が実質的に都を支配し、天皇家は貧困にあえいでいた時代です。
本書で取り上げたわずか数年のことを、「御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)」を史料として読み解き、近衛前久の動向を描き出しています。
「御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)」とは、宮廷記録のひとつで、天子に近侍する女官が記した当番日記のことです。
後土御門天皇から霊元天皇まで、天皇の動静を中心に、行事や任官、将軍以下の参内の様子などが記されていて、皇室史の史料としては第一級のものとして知られています。
皇室から戦国時代を読むという試みを、近衛前久を主人公とすることで物語としてもおもしろく、また皇室や公家の真髄、その存在意義を書き表したと言える作品です。
スピード感もあり、ファンタジーの要素もあるので、普段は歴史小説を読まない人にもおすすめできます。
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