【垣根 涼介】「光秀の定理」


垣根 涼介さんの「光秀の定理」読了。


久しぶりに読んだエンタメ小説が、明智光秀の物語でした。

本屋でみかけた途端に手に取っていたのは、ドラマ「信長協奏曲」の再放送を全話みて、映画のほうも見てしまったからだと思います。

by カエレバ

昨年公開された映画「信長協奏曲」はもちろん上映初日に観に行きました!

ドラマシリーズのときから、設定がおもしろい、と思ってました。

いわゆるタイムスリップものですが、信長が光秀になってしまって、現代人のサブローが信長になっちゃう、というストーリー。

主演の小栗 旬は、はまり役だと思いましたし、なによりドラマシリーズでの、回を追うごとにサブローから本物の信長へと成長する過程には、わたしは感動を覚えました。

うまいなぁ、と。

というわけで、タイトルの光秀にがぜん興味をもってしまいました。

文庫版の帯には

「光秀はなぜ瞬く間に出世し、信長と前後して滅びたのか?」

という、思わせぶりなフレーズがありました。

さらにさらに、世界的なアーティストの村上隆さんが

「歴史小説?いやこれは、堂々とした青春小説だ。」

なんておっしゃている。

これは読まねば、と即決した次第。







ベイズの定理

光秀の定理」というタイトルは、おそらく「ベイズの定理」からもじったもの。

ベイズの定理とは、イギリスの長老派(キリスト教の一派)の牧師で数学者でもあったトーマス・ベイズが示したというか、証明したとされている、条件付き確率の定理です。

実はこれ、ネット業界ではよく知られたもので、ベイズの定理を基礎にして発展させたベイジアン・ネットワークは、人間の行動予測、異なる人格間のマッチングの最適化、多種多様な要因が複雑に絡み合っている事象の将来予測など、不確実で絶えず変化するために数式で表現が困難なものを、確率ネットワークの形態でモデル化したものとして知られています。

つまり、AI(人工知能)関連の基礎となる、ひとつの方向性がベイジアン・ネットワークなのです。

トーマス・ベイズは、自分の考えた法則で物事を考えると、ほとんどの場合、答えが事前にわかってしまっていたため、生前はこの定理を公表していませんでした。

18世紀の人ですから、未来を予測するなどは、神の領域を侵犯する、と考えていたためです。

トーマス・ベイズが牧師である、ということとも関係していると思いますが、現代においても、やはり未来予測は神の領域といえましょう。

光秀の定理」のなかで、このベイズの定理をつかって辻賭博を行って小銭を稼ぐのが、釈尊のみを戴く僧侶の愚息であることは、トーマス・ベイズが牧師であったことをトレースしているかのようです。

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確率論が光秀の出世を助ける

僧・愚息が勝ってしまう辻賭博のひとつはこうです。

4つの椀のひとつに小石を入れ、小石の入った椀を当てさせるというもの。

胴元(愚息)は、まず賭けさせたあとに、4つの椀のうち、小石の入っていない2つの椀を選んでオープン。

残る2つのうちのどちらかに小石は入っていて、このとき、賭けたほうは最初に選んだ選択肢を変更することができます。

最初のうちは、勝ったり負けたりを繰り返すように見えているのですが、最終的には胴元が勝ちます。

これがベイズの定理をつかったゲームであり、この確率論が、光秀が大出世を遂げることになる六角氏の支城・長光寺城攻略において、応用されるのです。

もちろん史実ではありません。

城までの4つのルートのうち、3つには兵があり、残るひとつには兵がいないとわかった光秀は、このとき、愚息に相談します。

そして愚息から75パーセントの確率で兵がいないのはこのルート、と教えられ、結果、無傷で長光寺城を攻略するのです。

本作の全編にわたって、このベイズの定理が登場し、光秀ら登場人物と読者を惑わせてくれます。


明智光秀、ナレ死

この物語は、元倭寇でシャムのアユタヤで仏教に帰依した僧・愚息と、負け知らずの兵法者に成長する新九郎、そして明智光秀の物語です。

つまり、明智光秀は主役とはいいがたいポジション。

そして、日本人なら誰もが知る「本能寺の変」は、作中では描かれていません。

光秀の死も、大河ドラマ「真田丸」風に書けば「ナレ死」です。

最後は、愚息と新九郎の回顧トークとして、光秀がなぜ信長を殺さねばならなかったのか、が語られていきます。

この回顧トークが、文庫版の帯にはあった
「光秀はなぜ瞬く間に出世し、信長と前後して滅びたのか?」
の回答にあたります。

自ら皇帝になろうとした信長を、宗教で言えば一神教の信者とすると、自らの神以外はすべて悪魔として排除しようとします。

しかし日本は、古来から多神教であり、神仏に対する柔軟性があります。

それが、光秀と信長の諍いの原因だと分析しています。

キリスト教は日本において変質した、という人もいるくらい、日本人の宗教観は一神教にはなじまないもののようです。

歴史が苦手な方にも楽しめるストーリーです。
おすすめです。


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