『国宝』読了。
吉田修一さんは好きな作家のひとりですが、『国宝』は読んでみたいと思いつつも、きっかけがなくて未読の作品でした。
ところが、吉沢亮さん主演で映画化されると知り、手に取りました。
歌舞伎に興味がなくとも、一気に読める作品です。
『横道世之介』
『国宝』を読みはじめてすぐに感じたのは、これは主人公の死を描いた物語だということです。
というのも、主人公の生まれ育ちから物語がはじまり、周辺の人物との関係や交流など、多くの登場人物が、主人公の性格や生き様を彩っているからです。
吉田修一さんを読むようになったきっかけが、映画『横道世之介』を観たからだったので、物語の進め方がすごく似てるなと感じました。
『横道世之介』も、駅のホームに落ちた人を助けて死んでしまった男の物語で、その結末のために世之介というキャラクターが存在しているような印象です。
いっぽうの『国宝』は、主人公の喜久雄の父親がヤクザで、正月の祝いの席で殺されてしまうという人物。
令和の時代では、受け入れられない生まれ育ちです。
読み進めていくうちに、昭和30年代後半くらいかな、と納得するのですが、それでも冒頭の抗争シーンは驚きに満ちた展開です。
歌舞伎役者
『国宝』の文体は、この物語でしか通用しないような語り口です。
インタビューを読んで知りましたが、この文体にたどり着くまでに数ヶ月かかったそうです。
語り口調の文体は、読みやすく、そして記憶に残りやすいようで、読み終わってこのブログを書いていても、細部まで思い出されるような気がします。
吉田修一さんは、インタビューのなかで、歌舞伎役者の言葉は丁寧である、というところから文体を創造したようです。
『国宝』には、歌舞伎や義太夫、講談といった日本の伝統芸能が文字として埋め込まれているように感じます。
主人公の喜久雄は、当代随一の女形として芸の道を極めていくわけですが、そこには多くの人々の助けもあれば、言われのない批判もあって、時代が昭和であっても、その点は変わりません。
無愛想な天才
歌舞伎が好きで好きで、「神社で悪魔と取り引きした」と娘にいう喜久雄は、本当にそうなっていってしまいます。
役者として精進する喜久雄は、自分だけの世界に入っていってしまうのです。
そのきっかけは、自分の舞台に観客が上がってきたこと、と物語では描かれていますが、喜久雄がひとりきりになってしまったことが大きな理由なのではないでしょうか。
父とも慕った師匠の花井白虎が亡くなり、同い年のライバルだった花井白虎の跡取り息子・俊介は、10年のブランクののちに復活するも、両脚を切断し、喜久雄に息子を託して亡くなります。
娘の綾乃は、すでに喜久雄を父と思っておらず、歌舞伎のために捨てられたと感じています。
妻の彰子は、歌舞伎の世界で生きるための道具と割り切った政略結婚であり、物語の後半では、結婚生活は破綻しているようです。
主人公が子どもの頃から一緒だった徳次も、綾乃が大学に入学すると、喜久雄のもとを離れていきます。
つまり、喜久雄が女形として、芸の花を咲かせれば咲かせるほど、喜久雄をひとり置いていってしまうのです。
主人公は、たぶん70歳を目前にして人間国宝となるわけですが、その最後の様子は、涙が止まりません。
虚の美しい世界だけを見るようになった喜久雄の哀れ。
現実のほうが幻となってしまった役者の最後は、あまりに美しく、そして悲しい。
誰にも相談できない、孤高の天才とはこういうものなのかもしれない。
そんな感想を持ちました。
吉沢亮さん主演
読む前に映画化されると知っていたためかもしれませんが、女形として描かれる喜久雄が、そのまま吉沢亮さんとして、脳内でイメージされてしまいました。
国宝級イケメンで知られるいっぽう、『東京リベンジャーズ』『キングダム』など、硬派な男世界で生きるキャラクターを演じています。
アニメの天竺編まで観ていますが、『東京リベンジャーズ』は、吉沢亮さん演じるマイキーの闇に翻弄される花垣武道の物語のようです。
また『キングダム』では、中華統一という目標を掲げる始皇帝(嬴政)を演じていますが、幼少期は不幸で悲惨な経験をしている王族です。
どちらも、深く暗い背景を持った役柄です。
また、『キングダム』の嬴政と瓜二つであるために影武者にスカウトされ、非業の最後を遂げる漂の演技は、映画の冒頭シーンであるのですが、吉沢亮さんの演技に映画館中が涙するほどでした。
今回の喜久雄の前半生には、吉沢亮さん以上の適任者が思い浮かびませんし、最後に虚の世界へと旅立ってしまった喜久雄を演じたら、さぞや美しいだろうと思ってしまうのです。
映画の公開は2025年のようです。
一日でも早く、映画を観たいと心から思える作品でした。
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