『ある閉ざされた雪の山荘で』読了。
映画化されるというので、手に取りました。
30年くらい前に、たぶん読んでいると思ったのですが、さっぱり記憶が戻らず・・・。
もしかして読んでなかったのかしら?
いずれにせよ、この頃の東野圭吾さんらしい作品ではないでしょうか。
劇団員による殺人劇
『ある閉ざされた雪の山荘で』は、雪の密室ミステリのようなタイトルですが、実際は「雪の密室」という設定の演劇を描いています。
演劇といっても、作・演出が二重になっていて、しかも登場人物の多くが真相を知らされていない、という設定です。
また、東野圭吾さんの作品には珍しく(?)、建物について絵がついているなど、本格ミステリっぽい作りです。
そして、この図面は、実は解決編で必要になります。
時代背景はどうなる?
1990年代のはじめの頃が時代設定なのですが、このころは、演劇をやっていた若者が、たくさんいたように思います。
だから、オーディションで合格した20代の若者が、あるペンションに集められる、という設定に、当時は違和感がなかったと思うのです。
が、現代に置き換えてしまうと、いろいろと不都合があるような印象です。
たとえば、殺人事件が会ったらしいと疑問に感じただけで、登場人物の誰かが、スマホで検索したり、警察に通報したり、SNSに投稿したりしてしまうという行為に及ぶはずだと思われます。
30年前の作品を映画化するにあたって、どのような時代設定にするのか、とても興味があります。
以前、1995年に発表された『天空の蜂』が、2015年に映画化されたとき、20年のあいだに進化した情報機器やネット環境の充実などが反映されたら、「かなりおもしろいはず」と期待して観にいきました。
ところが、時代設定から何から、原作の通りで、肩透かしをくらったような印象を受けました。
年月を超えて映画化するなら、現代に通じるような設定変更が必要だと思うのですが、そういうことをすると、作品自体が成立しないとか、作品の良さが損なわれるとか、色々あるのでしょうか。
東野圭吾さん自身は理系のご出身なので、「時代設定を現代に置き換えて欲しい」という読者の無理を聞き届けてくれそうな気がしますが・・・。
三重構造
読んでいると、殺人事件なのか、それとも演劇なのか、徐々に変な感じがしてきます。
そして、読者の多くが、これは殺人事件だと十分に感じた頃、じつは違います、という謎解きがあるのです。
根っこにあるのは「復讐」なので、そこまで人間は執念深くなれるのか?と感じてしまう人もいるかもしれません。
『金田一少年の事件簿』をみていると、多くの作品で「復讐」がテーマになっているので、本格ミステリの定番なのかもしれませんが。
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