『スイート・マイホーム』読了。
斎藤工さん監督、窪田正孝さん主演で映画が公開されるというので、手に取りました。
いちおうホラーなのですが、しょっぱなから「犯人コイツ」とわかってしまいます。
そのあたりを、映画ではどのように隠してくれるのか?ですね。
「家」が舞台のホラー
ミステリーでもホラーでも、「家」を舞台にした作品が多いものです。
『スイート・マイホーム』は、寒い長野の冬を、暖かい家で過ごしたいと新築した家族の物語です。
そこで出会う、一級建築士の資格をもつ営業担当者が、犯人です。
新築の家には、地下にエアコン、その暖かい空気を家中に運ぶためのダクトがあり、家中に犯人が潜むことができるという設定です。
ただ、この物語には、さまざまに仕掛けがあります。
たとえば、主人公は閉所恐怖症であり、その原因が過去の、ある出来事に起因しています。
また、犯人にも、精神を病む原因があり、そのことに気づかない会社の不始末もあります。
さらには、主人公の兄が、統合失調症になり、普通ではありません。
そんなさまざまな要素が絡まっている、違和感てんこ盛りの作品です。
精神を病んだ人々
ある意味、精神を病んだ人々の物語でもあります。
その症状はさまざまであり、本人が自覚しているか、無自覚かという違いもあります。
しかし、一人称でそれらを表現しているので、無自覚であることも、わかりにくくなっています。
ミステリーやホラーにはよくある手法です。
登場人物のなかで、主人公、主人公の兄、犯人など、あきらかに変な人々がメインですが、主人公の妻もまた、犯人の監視に気づき、精神を病んでいきます。
それが、ラストの残酷シーンへとつながります。
「怖すぎる」とは思わないけど・・・
第13回小説現代長編新人賞受賞作という触れ込みで、「怖すぎる」という評判だという本書ですが、少なくとも私は、怖いとは思いませんでした。
性善説で見る人と、性悪説で見る人の違いかもしれません。
むしろ、犯人が存在するなら、その人間の異常性に気づかない主人公にイライラしたりしてしまいます。
違和感の原因を放っておけないタイプの人にとっては、ホラーとかミステリーとか、納得できるレベルの怖さには、なかなか到達しないのではないでしょうか。
最近、映画『リング』を見直したのですが、理由はともかく、「こうしなければ呪われる」というほうが、よほど怖いと思いました。
鈴木光司さんの書く物語には、そういう怖さがあって、作品を読んで20年が経っても、物語の細部を思い出すことがあります。
原因が明確に描かれてしまうと、余韻も得られません。
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