阿部 智里さんの最新刊、八咫烏シリーズの完結編「弥栄(いやさか)の烏」読了。
弥栄の烏 八咫烏シリーズ6 | ||||
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番外編というか、八咫烏シリーズ0(ゼロ)の「玉依姫」を読んでいなくても、「空棺の烏」からの続きなので大丈夫です。
ただ、2年も前に読み終わった「空棺の烏」の記憶を取り戻すのが大変でしたが、最初の20ページも読めば、頭のなかはすっかり八咫烏ワールドになります。
宿敵・猿とは?そして山神とは?
「弥栄の烏」は、時間的には「空棺の烏」から続く、猿との闘いがメインの物語。神域を震源とする大地震によって、山内(やまうち)にはほころびができます。
その原因は、山神による怒りでした。
山神は、何度も生まれ変わり、人間の親から生まれるという存在。
そして、地震が起きたとき、山神は人間の肉を喰らい、バケモノになってしまった瞬間でもありました。
山神は、八咫烏の長とともに山内にやってきたといわれる存在です。
しかし、真の金烏である奈月彦は、バケモノのような山神を見て、山神を殺して自らが山神となろうという決意をします。
ところが、その山神は一転、愛らしい少年の姿に転身。
人身御供の少女・志帆と親子のように暮らすようになり、猿の入れ知恵から解き放たれたためでした。
真の金烏・奈月彦はなぜ記憶を失ったのか?
そんな山神の姿を見て、八咫烏の山神は本来このような姿だったのではないか、と考えた奈月彦は、山神を殺すことをいったん取りやめにします。そして、真の金烏が持っているはずの記憶がない自分という存在に疑問を持ち、その原因を調べ始めるのです。
その結果わかったことは、100年前の真の金烏・那律彦による山神への裏切りともいえる行為でした。
それは鎖国。
山神へ供奉する存在の八咫烏ではなく、八咫烏だけの世界に閉じこもり、繁栄を求めた結果でした。
真の名前を知ることは自分を取り戻すこと
真の名前を思い出せば、真の金烏が持つはずの、すべての記憶が戻るはず。そう結論した奈月彦。
ここで登場するのが、日吉大社、上賀茂神社・下賀茂神社、葵祭です。
さらに、玉依姫と丹塗矢(にぬりや)伝説も登場し、日本における処女懐胎神話にいたります。
しかも、応仁の乱のときに途絶えた葵祭を、地方で細々と継続した者たちがいたのではないか、そしてその時に勧請されたのが山神ではないのか?
では、自分の本当の名前は?
いちおうの回答は得られますが、しかし奈月彦の記憶は戻りません。
記憶のない自分は自分ではないような気がする。
そんな思いを深めていきます。
衰退するかもしれない未来、そして将来に期待が持てない「今」をどう生きるのか?
けっきょく奈月彦は記憶を取り戻せないままに物語は終わります。しかも、八咫烏たちは猿の一族を殲滅し、人間を喰った山神は「英雄」に殺され、一代限りの山神として神域に入ります。
八咫烏の世界は近い将来、崩壊へと向かう。
このままの山内を維持することはできない。
それがいつなのか、どのように起こるのかは、誰にもわからない。
そんな事実を胸に、奈月彦は悶々とします。
しかし、妻・浜木綿は懐妊し、奈月彦のもとには姫君がやってきます。
もう子は宿せないといわれた浜木綿が起こした奇跡でした。
「衰退するかもしれない未来」
「そして将来に期待が持てない」
これは、バブル崩壊以降の日本しか知らない世代に共通した意識ではないでしょうか。
自分たち(八咫烏)は、高貴な存在であり誰よりも上位にある、という意識が何の根拠もないことに気づいたとき、どのように振る舞えばよいのか。
現代に生きる日本人にも通ずる問題意識への回答は、日々を精一杯生きること、という著者・阿部 智里さんからのメッセージが込められているかのようです。
そういう意味では、過保護に育てられた大貴族の令嬢・真赭の薄が、危機に際して何の役にも立たない自分に気づき、自分のできることを真摯に行う姿にも、著者と同世代の読者へのメッセージが含まれていると感じました。
完結編となる本書は、いささか早すぎる展開、急ぎすぎる結論のように感じました。
そのせいか、現在はシリーズ外伝が書かれています。
こちらも読まないと、ですね。
八咫烏シリーズ外伝 しのぶひと【文春e-Books】
八咫烏シリーズ外伝 ふゆきにおもう【文春e-Books】
八咫烏シリーズ外伝 すみのさくら【文春e-Books】
<関連の登場>
【阿部 智里】 「烏に単は似合わない」
【阿部 智里】 「烏は主人を選ばない」
【阿部 智里】 「黄金の烏」
【阿部 智里】 「空棺の烏」
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