劉慈欣の『三体0【ゼロ】 球状閃電』読了。
『三体』よりも前に書かれた作品で、まさに前夜譚。
劉慈欣の作品は、物理学をベースにした世界観が描かれているので、物理にまったく興味がない自分には、かなりの難物です。
ですが、理屈で考えるのではなく、そういう世界だと思って読むようにしています。
球電を兵器にする
主人公は、14歳の誕生日に、球電によって両親を一瞬のうちに灰にされてしまったという過去を持ち、球電研究者に成長します。
そして、新しい兵器を考え出すことを仕事にしている女性と出会い、球電を兵器にする仕事に携わるようになります。
球電は、実際にある現象で、著者である劉慈欣もみたことがあるというもの。
その現象は科学的にすべて解明されているわけではありません。
なので、球電がマクロ電子である、というのはフィクションですが、初めて化学で電子と原子核について学んだときに、小さい電子と原子があるなら、大きな電子と原子もあるはず、などと想像した自分の記憶が蘇りました。
雷の一種ではなく、自然界に存在する電子だとわかれば、兵器にするのは簡単です。
しかし、軍部は、球電とその発展形であるマクロ原子核融合を武器とすることに、熱心ではありません。
そのために、大きな事件が起こってしまうのです。
地球を初期化する
マクロ原子核融合を引き起こしたことによって、CPUやICチップがすべて灰となり、中国の三分の一の大地の文明が破壊されてしまいます。
球電や原子には、特定のモノを標的にするという特性があり、そのなかのひとつが、CPUやICチップなど、現代社会では欠かせないものを一瞬のうちに灰にするというものです。
そして、それらを破壊することによって、電子や原子のエネルギーは減少して消滅します。
しかし、標的が失われた場所ではエネルギーは保持され、次の標的に出会うまで減少することはありません。
つまり、マクロ原子核融合を何度か繰り返せば、地球上のCPUやICチップはすべて破壊され、地球は初期化されるというのです。
高度に複雑化し、情報化した社会が一瞬のうちに失われるという恐怖を、実は描いていたのです。
観察者の存在
球電やマクロ原子核融合によって、電子で構成された肉体が、量子に変換されて存在することがわかり、いっそう話がややこしくなってきます。
このあたり、肉体と幽体という言い換えで理解できるのではないでしょうか。
肉体は滅んでも、幽体は残っていて、いろいろとアクションする。
そして、電子と量子の違いを決めるのが、観察者の存在であるということもわかってきます。
観察者が存在すると電子となり、不在になると量子となる。
しかし、いったん量子となった人間が、電子になることはない。
そして、観察者は、人間だけでなく衛星でも、監視カメラでも、地球外生命体でも良いのです。
観察者としての三体人。
そんなほのめかしがラストにあります。
そして、量子力学では、観察にも強弱があり、弱まっていくことが老化、観察できなくなったときが死である、というのです。
青い薔薇のエピソードとしてラストに描かれる様子は、幽霊が見える人と見えない人の違いのようにも読めるので、難しい言葉はすっ飛ばしても大丈夫だと思います。
『三体』を理解するのはここから
『三体0【ゼロ】 球状閃電』を読んで、登場人物はもちろん、世界観が『三体』シリーズと共通している点が多いので、まずはここからスタートするのが良いかもしれません。
『三体』シリーズは大長編なので、途中で挫折してしまう読者も多いと思いますが、『三体0【ゼロ】 球状閃電』は、まだ理解しやすいですし、登場人物もわかりやすいと感じました。
なにより、主要メンバーが少ないので読みやすいです。
『三体』シリーズは、Netflixでドラマ化されることが発表されていますが、いつごろ観ることができるのでしょうか。
楽しみな半面、あの壮大な物語をどこまで描き出せるのか、少々の不安もあります。
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