『始皇帝 中華統一の思想 『キングダム』で解く中国大陸の謎』読了。
映画『キングダム』を観て、さらにアニメを見直しているのですが、やはり始皇帝がなし得たことについて知りたいと思って、手に取りました。
中国の思想や行政体系について、読みやすい言葉で説明されており、初心者にわかりやすい内容です。
なかなかの良書だと感じました。
秦だけで発達した中央集権国家
紀元前の中国は、氏族社会であり、生まれ育ちでその後の人生が決まってしまう、そんな社会だったそうです。
最小単位は家であり、その拡大した解釈の先に国が存在する社会です。
日本では江戸時代まで、そんな社会が続きましたが、中国大陸では、秦の始皇帝によって氏族社会が壊され、皇帝が直接、人民をコントロールできる中央集権的な社会へと生まれ変わりました。
それを行ったのが、「商鞅(しょうおう)の変法」と呼ばれる政治改革です。
この政治改革は、始皇帝・嬴政より5代前の孝公が行ったもので、旧来の貴族層の特権を廃し、君主が官僚を使って民を直接支配する中央集権政治の体制をつくり、それによって富国強兵を実現しようというものです。
そのために起用されたのが、商鞅(しょうおう)です。
商鞅は法家の思想家であり、法家の信賞必罰の思想なくして、秦の中華統一はなかったというのが、本書の中心となっています。
既得権益や不正を排除し、法による平等な社会を生み出す。
このように書くと、なんだか良い社会のように感じますが、中央集権国家を造ることによってもっとも有益なことは、国家(皇帝)が直接、税を取り立てることができるようになることではないでしょうか。
中間に既得権益者が存在すると、税率から納税方法まで、既得権益者がなんとでもできてしまいます。
しかし、皇帝が命じた官僚によって、直接税を取り立てることができるようになると、税収は国庫に収められ、国を富ませることができます。
また、戸籍制度を整えて、兵として駆り出せる人口を把握することもできます。
日本でこのようなことが行われるようになったのは、明治維新以降のことであり、まさに「富国強兵」の旗のもと、中央集権化が進行しました。
始皇帝が現代中国の基本形をつくった
法家の思想が、中央集権国家を作ったわけですが、氏族社会を簡単に壊すことはできず、秦が倒されたあと、氏族社会に回帰しようとする動きがありました。
しかし、その後成立した漢は、最終的に、秦の中央集権国家の基礎となる郡県制を採用しています。
これはなぜかといえば、漢王朝が直接、税を取り立てることができたからだと思われます。
皇帝が富めば、政治にも余裕が出てきます。
お金がなければ、やりたいことはできないというのが、今も昔も変わらない事情でしょう。
さらに、人民を兵士として徴用し、戦争に投入することもできます。
中央集権国家は、国を治める立場からみたら、こんなに便利なものはありません。
だからこそ、始皇帝以来、代々の中華統一王朝は、中央集権国家として存在したのです。
中央集権国家に欠かせない権威
しかし、中央集権国家に生きる人民にとって、皇帝の意のままに動かされることは、身分を超えて出世可能な社会であっても、不自由なのかもしれません。
そのため、トップにたつ皇帝には権威が求められました。
信が嬴政に対して抱くような気持ちを、人民のひとりひとりに持たせなければ、王朝は長続きしません。
始皇帝は、中華統一にあたって、騶衍(すうえん)の五徳終始説を採用し、「虞土・夏木・殷金・周火」という王朝交替の歴史観から、秦=水であると規定しました。
ですが、始皇帝に対する反発は強く残っており、始皇帝が目指す権威も、人民が納得できるようなものではなかったということのようです。
だからこそ、始皇帝は不老不死を目指し、そのための妙薬を探させたのかもしれません。
いっぽう、漢王朝では、皇帝の権威を儒家の思想に求めました。
儒家の思想は、氏族社会を基本としたものであり、父祖を敬うことが求められます。
儒家のおもしろい点は、時代に応じて求められる思想や教義をアップデートしていることです。
漢王朝は、法家の思想をとりいれた儒家の思想を、儒教として国教化します。
その後も、中央集権国家の体系を取り入れた王朝は、アップデートされた儒家の思想によって、皇帝の権威を説明していたというのです。
なかなか柔軟です。
しかし、法家の思想なくして始皇帝は生まれず、紀元前に、世界でも稀な中央集権国家も誕生しなかったのです。
本書を読むと、中国の思想、それが政治や経済に与えたインパクトなど、よく理解できます。
中国を知りたい人にとって、おすすめの本です。
<関連の投稿>
コメント
コメントを投稿