【佐藤究】『テスカトリポカ』

直木賞受賞作 『テスカトリポカ』読了。

 『テスカトリポカ』とは、アステカ帝国最強の神の名前であり、皆既日食のことらしいです。


アステカ帝国とは、1428年頃から1521年までの約95年間、メキシコ中央部に栄えたメソアメリカ文明の国家のこと。

日本では室町時代であり、くじ引き将軍として知られる足利義教が、くじ引きで将軍後継に決まったのが、まさに1428年。

アステカ帝国の神々と祭祀を中心に、裏社会の登場人物たちが、川崎という場所に運命的に集まり、死んでいく物語が、 『テスカトリポカ』だと理解しました。



中南米出身の父や母

物語には、メキシコやペルーなど、中南米出身の父や母を持つ、日本生まれで日本育ちの人物が登場します。

人間離れした怪力の持ち主・コシモは、日本人ヤクザの父と、麻薬ビジネスと暴力が支配するメキシコから日本まで逃げてきた母を、13歳で殺してしまいます。

戸籍はあるものの、ネグレクトのために小学校にも通わず、言葉はもちろん、人との付き合い方も学べなかったコシモは、感じるままに行動する子どものままに、身体だけは成長します。

このコシモを受け入れ、ナイフの作り方を教えるパブロは、ペルー人の父と日本人の母のものとに生まれ、貧しい生活から脱却し、自分のやりたいことを続けるために、とんでもない悪の道へと踏み入れてしまいます。




無戸籍児童の心臓密売

物語の半分が、アステカの神と祭祀、それを信じる者たちの物語だとすると、現代の問題を浮き彫りにしているのは、麻薬と臓器売買、そして秘密裏に行われる移植手術でしょう。

日本には、おもにDV被害者の母をもったことで、無戸籍となり、教育はもちろん、日本人として生きる上で、なんの権利も行使できない人(子ども中心)が数万の単位で存在するそうです。

そんな子どもの臓器、とくに心臓を密売する組織を作り上げ、実行するのが、メキシコの痲薬カルテルの生き残り・バルミロと、日本ではメスを持てなくなった心臓血管外科医の末永です。

この二人がインドネシアで出会ったことで、きれいな空気の日本で育った、日本人の子どもの心臓を密売・移植するビジネスが生まれます。

世界中の富裕層を相手にした独占的なビジネス。

無戸籍児童をあつめるために、表向きは、DV被害にあっている子どもを保護するという名目のNPO法人が暗躍することになります。

非合法、非人道的なビジネスを支えるのは、痲薬を常用する人々です。

そして、心臓密売のビジネスと、血と心臓を求める神・テスカトリポカとが、重なり合っていきます。

世界を股にかけた裏ビジネスの物語は、いずれNetflixで映像化されるのではないか、と期待してしまいます。




祭祀と暴力が表裏一体となるとき

はじめのうちは順調に進んでいた心臓密売ビジネスでしたが、バルミロがコシモと出会い、殺し屋として育成するようになるころから、おかしくなっていきます。

末永の思惑は、スマートに密売と移植の仕事をすることであり、目的は心臓血管外科医として移植手術をすること。

いっぽうのバルミロは、殺された兄弟や家族の復讐です。

どちらも名誉を回復するという点では一致しているものの、戦闘集団を育成し、大量の武器を書い続けるバルミロは、末永にとって脅威となっていきます。

そこに、身体だけが大きく育っただけの子ども・コシモがからみ、心臓密売ビジネスは崩壊するのです。

テスカトリポカ』は、アステカの神々と祭祀が半分、裏社会に生きる男たちの出会いと心臓密売ビジネスが半分という内容なのですが、アステカの神々のことが描かれていなければ、面白さが8割減という物語だと思います。

血と暴力場面が多い割に、不思議と、残忍さ、凄惨さを感じにくいのは、神々のための儀式という場面が多いからかもしれません。

大変興味深く読みました。



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