【カズオ・イシグロ】『クララとお日さま』

クララとお日さま』読了。

ノーベル賞作家であるカズオ・イシグロの、受賞後初の作品です。


AIロボットの人生を描いた物語、とでも言えば良いのでしょうか。

カズオ・イシグロらしい淡々とした描写だからこそ、心に響くと感じた作品です。



子どもに寄り添うAF

クララとお日さま』は、AIロボットのクララが、クララの視点で語る物語。

クララは、人間の子どもの親友として、子どもの成長を見守るために作り出されたロボットです。

作品中では「AF」と表現されているので、「Artificial Friend」のことだと思うのですが、人工ともだちです。

物語の設定では、人間社会は格差社会であり、子どもは「向上処置」を受けているかどうかで差別されたりします。

「向上処置」というのは、おそらくデザイナーズベイビーのことだと思われます。

受精卵の状態で、遺伝子操作された子どもには、未来が広がっていますが、そうではない子どもには、未来が閉ざされているのです。

しかし、クララの見守るジョジーは、どうも「向上処置」を受けているために、姉のサリー同様、思い病気にかかっているようなのです。



太陽エネルギーと太陽信仰

クララの動力源は太陽光です。

そして、クララは、鋭い観察力を持ち、思考能力の高いAFとして描かれています。

そんなクララは、一種の太陽信仰ともいえるような願いを、ジョジーのために実行しようとします。

クララは、お日さまにある約束をしますが、その約束の実行には、クララ自身が犠牲を払う必要がありました。

クララの一途な思いは、美しい聖画のようです。

一心不乱に神に祈る少女の姿が、思い浮かびました。



21世紀の『幸福な王子』

クララの一生は、店頭でディスプレイされて、ジョジーに買われたときから、ジョジーが元気になって大学に入学するところで終わってしまうかのように思いますが、実は、店頭でディスプレイされているときと、役割りを終えて廃棄物となったときのクララが、とても印象的です。

店頭でディスプレイされているときのクララは、外の世界に興味津々で、期待に胸をふくらませています。

そして、廃棄物となったクララは、役割りを全うしたことに満足し、残された日々を、過去の記憶とともに過ごすのです。

まるで、これまでの人生を振り返って余生を暮らす老人か、自分だけの世界に遊ぶ認知症患者のようです。

廃棄物となったクララの回想、クララがいた店の店長さんとの語らいには、そんな印象があります。

しかし、クララは小学生くらいの子どもの姿をしているはずなのです。

クララとお日さま』を読んでいて、ちょいちょい感じたのは、オスカー・ワイルドの『幸福な(の)王子』に似ている、ということです。


幸福な(の)王子』は、王子像が心を持っていて、動けない王子のかわりに、ツバメが王子像の装飾品をはがして、貧しい人々に配るという物語です。

きらびやかに飾り立てられていた王子像はみすぼらしくなり、やがてゴミとして捨てられてしまいます。

そして、越冬するタイミングを逃したツバメもまた死んでしまうのです。

幸福な(の)王子』は、19世紀の産業革命後のイギリスで誕生しました。

格差が広がり、新たな富裕層が誕生し、マニュファクチャリングが本格化したころです。

クララのジョジーに対する気持ちは、王子が貧しい市民を憂える気持ちと重なるような気持ちがしました。

淡々と語られる物語の細部に、人間とAFとの格差が見え隠れするあたりも、心を動かされます。

廃棄物となったクララを見つけた店長さんは、クララとの会話を楽しみ、「クララが一番優秀だった」と称賛さえするのですが、クララと別れ、立ち去るときには、振り返ることさえありません。

店長さんにとっては、クララはやはり商品であり、どんなに言葉を交わそうと、友人ではないからです。

わたしを離さないで』では、臓器提供をするために生まれたクローンが主人公で、人間と差別されるクローンの苦悩が描かれていました。

クララとお日さま』では、人間とAFには明確な区別が存在しているので、「自分は人間か?」といった苦悩はありません。

むしろ、そういう苦悩がなく、ただただ人間の子どもの良き友であり続けようとする、AFの献身性が、憐れを感じさせるような物語でした。

オススメです。


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