【竹宮惠子】「少年の名はジルベール」

漫画家の竹宮惠子さんの自伝「少年の名はジルベール」読了。



竹宮惠子さんが、プロの漫画家になったと自覚するまでの葛藤、精神状態、人間関係、考え方やモノの見方などが、克明に描かれています。

竹宮惠子さんは、『風と木の詩』という作品で、少女マンガに革命を起こした人物。

日本の少女マンガは、単純なコミックではなく文学である、とときに語られるのは、竹宮惠子さんや萩尾望都さんなどの登場があったからです。



面川は、小学生のころから大学くらいまで、マンガをよく読んでいました。

とくに少女コミックは、萩尾望都さんが連載していたこともあって、毎週・毎月、購読していました。

私が小学生だった頃、竹宮惠子さんは、こんなことに苦しみ、悩み、そしておとなになっていったのだと思うと、単なる自伝ではなく、成長する物語といえると思います。

悩んでいる人に、手にとってもらいたい一冊です。




竹宮惠子さんと萩尾望都さんが同居

ほぼ同時期にデビューした、竹宮惠子さんと萩尾望都さんが、同居していたそうです。

そこは「大泉サロン」とファンに呼ばれていたそうですが、小学生だった私には、そんなことを知るよしもありませんでした。

なんだか楽しそうな、マンガ好きの集まりと思いきや、そこは竹宮惠子さんにとって、苦しい場所となっていきます。

そもそも「大泉サロン」の発端となっているのが、竹宮惠子さんの『変奏曲』の原作者である増山法恵さんです。



竹宮惠子さんの作品のなかで、面川が最も好きな作品が『変奏曲』。

少年の名はジルベール」を読んでいると、早々に増山法恵さんの名前が登場しますが、

「わたし、この人の名前を知っている」

と思ったのです。

どこか、わたしの記憶の奥底に眠っていたんですね、増山法恵さん。


萩尾望都さんと自分を比較する日々でスランプに

竹宮惠子さんが、赤裸々に描き出しているのは、同居して淡々と自分の作品を発表し、世間から注目を集めていく萩尾望都さんとの比較です。

実際のところ、小学館漫画賞を受賞しているのは萩尾望都さんのほうが先です。

竹宮惠子さんが、小学館に紹介したにもかかわらず。

さらに、当時すでに、少女マンガの枠を超えて、幅広い読者層を獲得してもいました。

竹宮惠子さんも「少年の名はジルベール」のなかで書いていますが、萩尾望都さんには独自の世界観と、それを描ききる技術が早くから備わっていたようです。

一方の竹宮惠子さんは、起爆力もあれば、努力家でもあるのに、なかなか芽が出ません。

たしかに、当時の少女マンガを読んでいた面川も、竹宮惠子さんの作品として思い出せるのは、『ファラオの墓』以降です。



それ以前の作品は、ほとんど記憶に残っていません。

自伝を読むと、竹宮惠子さん自身が、それどころではない状況であったことがわかります。


プロのマンガ家とは?

竹宮惠子さんは、プロのマンガ家として活躍するためには、脚本を書くノウハウを学ぶべきである、と文庫版あとがきに書いています。

マンガ家になった当初は、自分だけのストーリーを描き出そうとしていた、と反省しています。

しかし、世の中の人の心をつかみ、感動させるには、パターンがあり、それをうまく利用することで、自分が描きたいストーリーがさらに深まり、おもしろくなると書いています。

これは、『ファラオの墓』を作品化するにあたって、増山法恵さんから学んだことが大きかったという経験があるから、言えることです。

たしかに、世の中の物語は、いくつものパターンに当てはめることができます。

そういうパターンを流用して、自分なりのオリジナリティをどうやって出していくのか?

そこが作家性というものなのかもしれませんね。

竹宮惠子さんが、大学で教鞭をとられ、マンガ制作のノウハウを教えることができたのも、『ファラオの墓』の経験があったからなのね、と「少年の名はジルベール」を読むと、納得できます。

マンガを描くことは職人的ではありますが、マンガ家はやはり作家であり、エンターテインメント創作という点においては映画監督のような目線ももっているのだと、思います。

スランプ脱出は、プロのマンガ家とは物語をコントロールできることであること、に竹宮惠子さんが到達したときだった、というのが、後味も良い青春物語のような仕上がりです。



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