【明智憲三郎】「織田信長 435年目の真実」

織田信長 435年目の真実」読了。

前作「完全版 本能寺の変 431年目の真実」の参考書であり、織田信長の思考を読むというアプローチしています。

【明智憲三郎】「織田信長 435年目の真実」

織田信長 435年目の真実」を読んで感じたのですが、日本の歴史学者は、その時代のモノの見方・考え方とかを無視しているんでしょうか?

呪術なんかは、完全に無視していますよね、現実的ではないということで。

また、史料の重要性についても、これはいいけど、これはダメという決めつけが激しいというか・・・。

だから、ある意味、素人の歴史研究家である著者に独自展開をされても、痛くも痒くもないのか?と思ったり。

近視眼的なんですかね、アカデミックって。

大学で教える者として、そんな事を考えながら読んでしまいました。




戦国大名の思考とは?

戦国大名は、「孫子」「呉子」「韓非子」といった、中国発祥の思想を理解し、それを利用していたというのが、本書の趣旨です。

「孫子」は、「兵は国家の大事なり(戦争は国家の重大事)」「兵は詭道なり(戦とは騙し合い)」といったフレーズで知られる兵法書であり、戦術書です。

2500年ほど前の、春秋時代に呉の孫武の作とされ、ナポレオンが参考にしたとか、現代の経営者が学んでいるというものです。

「呉子」は、2300年ほどまえの戦国時代に呉起の作とされているもので、部隊編成や地形ごとの戦い方といった実践的なノウハウをまとめたものです。

「韓非子」は、性悪説に基づいた統治についてまとめられたもので、「呉子」と同じく、戦国時代の法家である韓非の作とされています。

論語が徳治主義、徳のある人物が統治するという統治学だとすれば、「韓非子」は正反対のものであり、現実的な統治術を著したものといえます。

これらの中国の思想を抜きにして、戦国大名を論じることは意味がない、と著者は断じます。


「韓非子」とは

  • 人間を動かしているのは仁ではなく利益である
  • 主君と家臣の利益は異なっており、主君にとって家臣はいつ裏切るかわからない相手、家臣にとって主君はいつ誅殺されるかわからない相手。
  • この前提で、主君が家臣を使いこなすには、法に基づき、違反者は厳しく罰し、他の家臣が同じことをしないようにする
  • そして、主君はこのような術を胸に秘め、家臣を統制する

このように書くと、昨今の企業統治とも重なります。

アルバイトによる不適切な動画投稿などは、性悪説にたったルールによって、ふざけたことができないようにすべきであって、従業員の道徳観に委ねるものではないことが明らかです。

著者の調査によると、織田信長が「韓非子」を学んでいたという記録はないそうです。

しかし、信長の行動には、「信賞必罰」「厳罰」「独裁」「自己規律」「合理」「根切り」という思想があり、それが「韓非子」と通ずると著者は書いています。

ここに、本書のなかで紹介している「韓非子」の言葉を書き留めておきます。

「賞も罰も言うだけで行わなければ賞罰への信頼がなくなり、兵は命がけで戦わなくなる」

「重い刑を与えるのは罪を犯した本人を罰すためではない。罪を犯そうとするものをなくすためだ」

「適材適所に人を配置すれば上位者は何もしなくて済む」

「主君は自分の計算で家臣を抱え、家臣は自分の計算で主君に仕える。君臣の交(まじわり)は計なり」

「名君は家臣が叛かないことに頼るのではなく、叛けないように手を打つものだ」

「ずるい兎がすべて狩られれば猟犬が似て食べられる。同じように敵国が滅びれば謀臣が殺される」

「戦いの場では詐欺も行わねばならない」

「奮死の戦いをすれば一人で十人、十人で百人、百人で千人の敵に対抗でき、一万人では天下全体に勝てる」

「相手を破ろうと思ったら必ずまずしばらく相手を助けよ、相手から取ろうと思ったら必ずしばらく相手に与えよ」

「迹(あと)を削りて根を残すことなかれ。禍(わざわい)と隣することなければ禍すなわち存せず」

織田信長は、比叡山を焼き討ちし、大量虐殺も行いました。

すべては、禍根を残さないためです。

禍根を残さず、家臣の裏切りを許さず、織田家が主君として天下に号令し続けるために、信長は厳しく家臣に接し、家臣に本心を漏らさなかったのです。



桶狭間の戦いを「孫子」「呉子」的に解説

織田信長の名前が、世に広まることになった桶狭間の戦い。

これを「織田信長 435年目の真実」では、信長と孫呉の質疑応答という形で、必勝策の検討の様子を書き表しています。

これまで、信長の思考にまで踏み入り、さらに現場の天候・風向まで調査した上で、信長は桶狭間必勝策を行ったと説明した人物がいたでしょうか?

わたしが知る限りでは、たぶん、いないと思います。

戦国大名は、不確かな投資はしない、というのが著者の主張です。

「確実に勝てる」という信念をもって、ことに臨んでいなければ、一族は滅亡するからです。

信長の桶狭間の戦いは、十分に勝てる戦いであり、光秀による本能寺の変も、勝てるはずの謀反だったのです。


それでも家臣に裏切られた信長

織田信長の家臣のなかで、尾張・美濃出身者は謀反を起こしておらず、能力主義で採用された家臣が謀反を起こしています。

松永久秀、荒木村重、明智光秀、さらに本能寺の変に加担していたと思われる細川藤孝、筒井順慶も加えると、滝川一益以外は全員が謀反を画策したことになります。

著者は、信長が主従関係を使い分けていたのではないか、と推測し、尾張・美濃の家臣に対しては論語的主従関係(仁義礼智忠信孝悌)、能力主義で採用した家臣たちには「韓非子」的主従関係を求めたからではないか。

ドライな関係だからこそ、信長が、自分たちを使い捨てにすると気づいたために謀反を起こしたのではないか、というのです。

これは、実感を持って、理解できます。

日本でも能力主義を振りかざした経営が流行ったことがありますが、結局、優秀な人から辞めていきましたから。

戦国時代だと、辞める=一族滅亡、ということなので、決死の謀反がおこなわれたのではないでしょうか。

人間関係をどのように構築するかによって、信長のように謀反を起こされて一代で終わるか、それとも家康のように徳川幕府を開くかに分かれることが、本書を読むとよくわかります。



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