【パトリシア・ハイスミス】「死者と踊るリプリー」

死者と踊るリプリー」読了。

パトリシア・ハイスミスのトム・リプリーのシリーズの最後です。

トム・リプリーのシリーズは、映画化された「太陽がいっぱい」にはじまり、「贋作」と続きます。

映画「太陽がいっぱい」では、殺人が暴かれて警察につかまるところで終わりますが、原作では犯罪は露見しません。

死者と踊るリプリー」は、「贋作」から5年後にあたり、「太陽がいっぱい」から約10年後という設定です。

そして、「贋作」の続編となる作品です。

死者と踊るリプリー (河出文庫)

パトリシア・ハイスミス 河出書房新社 2003-12-07
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過去の犯罪は一生ついてまわる

死者と踊るリプリー」は、トム・リプリーがかつて殺人を犯したと思い込んだ男が近所に引っ越してくるところからはじまります。

ときに脅しの電話をかけてきたり、自宅を隠し撮りしたり、旅行先まで追いかけてきたり・・・。

過去に犯罪を犯していない人間なら、執拗においかけ、嫌がらせをする人間を警察に通報し、近づかないように法的措置を取りそうなものですが、トム・リプリーは、殺人を犯しているスネに傷を持つ身。

不快感を感じながらも、自分と仲間(「贋作」)たちだけでなんとか処理しようとするのです。


変わり者より常識人を信じる人間の本能?

トム・リプリーは、かつて疑惑に巻き込まれ、実際に周囲で何人も人が亡くなっていますが、パリ郊外の静かな村では、常識的な良き人間として認知されています。

一方、トム・リプリーを追いかける男は、変わり者で迷惑なアメリカ人と周囲に思われていました。

ニュースを見ていると、犯罪を犯した人を評して「あいさつも良くする普通の人」「変なことをするようには見えなかった」という言葉がでてきますが、常識的な人間で周囲に馴染んでいる人は犯罪者ではない、という人間的な本能があるみたいですね。

死者と踊るリプリー」では、常識的に、そして村に馴染んで生活しているトム・リプリーの話は真実で、変わり者のアメリカ人のやることは変なことと思われています。

変わり者の言動のほうが目立ちやすく、話題になりやすい。

そんな現実世界でもよく見られる光景が、いかにもそれらしく描かれているのが本書です。



過去の犯罪を隠すためにどうするか?

死者と踊るリプリー」のなかで、トム・リプリーは考えます。

うっとおしい男をどうやって追っ払うのか?

そして、過去の犯罪が露見しないためには何をしなければならないのか?

本書では、トム・リプリーの頭のなかで考えたこと(妄想も含めて)が全体の7割くらいを占めているのではないでしょうか。

トム・リプリーのシリーズは、トム・リプリーの思考を描き出しています。

殺人にいたる心理描写、殺人の事実を隠そうとするときの思考の流れ、自分に不利な場面で切り抜ける話術など、読者はトム・リプリーと一体化してしまいそうです。

そして、とくに本書は、その傾向が強いのです。



意外性のある終わり方

死者と踊るリプリー」では、トム・リプリーは殺人を犯しません。

変わり者の男とその妻は、事故でふたりとも死んでしまいます。

パトリシア・ハイスミスは、トム・リプリーに殺人を犯させるのではなく、過去の犯罪に怯える人間の心理と狂気を描き出したかったのかもしれません。

そして、一見、豊かで幸せそうに見える人々の裏側を描き出すことが、目的だったのかもしれません。

夫婦二人でパリ郊外の村にある邸宅に住み、高級車を3台も所持し、頻繁に旅行に出かけ、趣味の絵を書き、ガーデニングにも興じるような人物が、殺人という過去を背負っているのです。

トム・リプリーは、ある種の楽観的な人間として描き出されています。

なるときはなるさ的な楽観的な人間で、どこかで犯罪を犯した自分を認めているにもかかわらず、今の生活を手放したくないという強い意志があります。

死者と踊るリプリー」でも、トム・リプリーは、一度は殺人を考えます。

邪魔で目障りな人間は排除する。

これが、トム・リプリーなのです。

だからこそ、今回は殺人という解決法ではなかったのかもしれません。

主人公のトム・リプリーが憑依したかのように読めます。

おもしろいので、「太陽がいっぱい」⇒「贋作」と一緒に読んでくださいね。


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