【小和田 哲男】「呪術と占星の戦国史」





呪術と占星の戦国史」読了。

著者は、戦国時代の研究者で、大河ドラマの時代考証などもなさっている 小和田 哲男 先生。

呪術と占星の戦国史」は、小和田先生が20年近く前に著した、一般には知られていない戦国時代の一面を解説したものです。

まじめな歴史学者の先生が、
まじめに文献を読み、
まじめに現地調査をおこない、
あつまった呪符やまじないの実態を書籍としてまとめています。





呪術が最新科学だった戦国時代

戦国武将の多くがまじないを信じ、最新の科学だと考えていた時代の実例が、たくさん紹介されています。

たとえば、歴史ドラマではまったく登場しませんが、祈祷師や陰陽師が「軍配者」というポジションで合戦(戦争)をリードしていました。

戦の日程、方角の良し悪しを決め、勝ったときには、切り落とした首実検も軍配者が取り仕切ります。

怨霊となって祟らないようにという配慮から、軍配者という役割が生まれ、当然のことながら、呪術に造詣のある人々が、これらを担いました。

なかには、合戦するのではなく、敵方の大将を呪殺することも実際に行われ、成功したという文献すらあります。

これらは歴史的事実として、一考に値すると思います。

護摩壇


最高学府「足利学校」で教えた占星術

当時の最高学府とされた「足利学校」が、易(周易)の研究教育センターで、天文博士つまり陰陽師や呪術師を輩出していました。

このような足利学校出身の人々が、戦国大名の軍配者(軍師)として召し抱えられていたのだそうです。

たとえば、毛利元就の三男・小早川隆景は、足利学校を出た玉仲宗琇(ぎょくちゅうそうしゅう)と白鷗玄修(はくおうげんしゅう)を、九州の鍋島直茂は不鉄桂文(ふてつけいぶん)を、直江兼続(なおえかねつぐ)は涸轍祖博(こてつそはく)を軍配者として招いています。

足利学校出身者で歴史上もっとも有名なのは、徳川家康のフィクサーとなった密教僧・天海(てんかい)でしょう。

by カエレバ

いまにたとえれば、東大出身のエリートたちで、武田信玄は足利学校出身者かどうかで採用・不採用を決めたという逸話さえあります。

しかし、足利学校出身者の名前が、歴史上目立っているかと言えば、そうでもありません。

作家の富樫倫太郎さんが、「中央公論」2014年1月号の「天気予報と占いで大名を導いた黒子たち」でこのように書いておられます。
「当時軍配者を抱えていない戦国大名などいなかったんです。最先端科学の知識と技術を戦に用いないというのはありえません。にもかかわらず、あまり彼らの記録が残っていないのが不思議なんです。」
 「今で言うと東大の卒業生みたいなものですから、各地の大名に引く手数多のはずで、これは不自然です。僕は、彼らが意識的に自分の存在を隠していたのではないかと思っています。軍配者が力を持ちすぎると、味方から妬まれる。だから、大きな功績を挙げたとしても、できるだけ目立たないようにしていたのではないか。目立つと自分の命が危ないから、あくまで黒子に徹していたということです。」
東大出身の官僚が世間的には目立っていないのと、なにか通じるものをかんじます。


怨敵調伏とまじない

応仁の乱のころ、東軍の細川勝元が「五壇の法」という密教に伝わる調伏を行っていました。

この「五壇の法」は、不動・降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉の五大明王をお祀りするもので、五大明王法と呼ばれます。

この五尊を本尊とする五大明王法は平安時代に日本で考案されたもので、国家の重大な祈祷のさいに行われたものです。

五人の僧が、それぞれの明王の前に陣取り、怨敵や悪霊を降伏させるための調伏祈祷の代表的なものとされています。

歴史に残るものとしては、冷泉天皇の病気治癒、円融天皇の病気治癒などの事例があります。

細川勝元は、この祈祷をおこなって西軍を何とかしようとしたわけです。

もうひとつ、毛利元就と尼子晴久・義久との戦いは、呪術合戦ともいえるものでした。

このとき元就は、「五壇の法」のほか、「六観音法」と「七仏薬師法」を行います。
それぞれ三日三晩おこなったのですから、戦なのかまじないなのか、本当にわかりません。

六観音法は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間(じんかん)・天の六観音をあわせて祀ると、あらゆる願いがかなうというもの。

七仏薬師法とは、陰陽道の影響を受けて成立した法です。

陰陽道では、生まれた年によって北斗七星のどれかが本命星とされ、その本命星にあてはまる七仏薬師の一仏を祈ることによって所願がかなうというものです。

薬師如来の説法を聞いた十二夜叉大将は呪詛調伏の尊格としても知られているため、このことから用いられたのかもしれません。

戦については、扇にも意味があり、呪術にかかわる道具であったことが明らかにされています。

大河ドラマをはじめとする歴史ドラマの合戦シーンでは、対象が大きな扇を持っています。この扇の使い方次第で、凶を吉にできたというのです。

また、使い方にもルールがありました。


歴史ドラマを呪術師的軍師の視点で描いたら

歴史は好きなので、歴史ドラマはよく見ます。

ですが、足利学校出身の、呪術師的軍師の存在などは描かれませんし、実は呪術で相手を調伏しようとしたとか、凶を吉にするために扇を用いたなど、まったく出てきません。

多少の表現があるのは、縁起かつぎの類でしょうか。

過去に良いことがあったことはなぞる、というもので、勝利したときの天候や場所、日付などは吉として、次もそうする、という行動です。

今でもスポーツ選手など、勝負の世界の方や、株の世界ではよく縁起かつぎが行われています。

軍配者という呪術的軍師の視点で、戦国時代を眺めたら、まったく違う歴史が見えてくるような気がします。

九星気学をはじめとする占い、おみくじのほか、僧侶が活躍する呪法。

北斗七星信仰の陰陽道や道教由来の霊符。

そして何より、死の穢れをたち、怨霊封じを行うためのさまざまな方法がありました。

戦国時代を軍配者の眼で描くとしたら、まるで違った世界観になると思います。


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