NEWS・加藤シゲアキさんの3作目「Burn.‐バーン‐」読了。
先日まで、ドラマ「嫌われる勇気」に出演していたので、
「そういえば、渋谷シリーズの最後、読んでないな」
と思い出して購入しました。
渋谷シリーズというのは、正確には「渋谷サーガ」シリーズというらしいのですが、デビュー作で、Hey! Say! JUMPの中島裕翔さん主演・菅田将暉さん出演で映画化された「ピンクとグレー」、2作目の「閃光スクランブル」につづく、渋谷を舞台とした物語を指します。
Burn.‐バーン‐ (単行本) | ||||
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大好きな「ピンクとグレー」
昨年の夏に映画「ピンクとグレー」を観たことがきっかけで、原作を手にとったのですが、わたし的には大好き!な作品でした。そのすぐあとに「閃光スクランブル」も読んで、映像化したらおもしろそうなストーリーだわ♪と思っていたら、似たような設定で福山雅治さん主演で映画化されちゃいましたね。
観てないのでわかりませんが、主人公がパパラッチという設定が一緒です。
宮下公園再開発と行政代執行
宮下公園は、ある意味で渋谷を象徴する場所です。山手線沿いにあって、渋谷から原宿まで乗車すると、右手に見えます。
わたしも大学生のころ、原宿から渋谷までウィンドウショッピングしながら歩いて、宮下公園の下の落書きだらけのトンネルを通ったり、宮下公園を通り抜けしたりして、よく行った場所のひとつです。
「Burn.‐バーン‐」の背景にあるのは、この宮下公園の再開発問題です。
宮下公園がきれいになったぐらいしか知らない私にとって、「Burn.‐バーン‐」で描かれるホームレスと行政の抗争(でしょうね)は、目新しい話題でした。
このブログを書くために検索したら、一昨日も、宮下公園再整備に関するニュース(東京新聞)がありました。
整備工事のために、ホームレスの方たちを締め出すために公園周辺を封鎖した、という内容ですが、これが記事になるには理由がありました。
ウィキペディアによると、
宮下公園は再整備を経て、2011年(平成23年)に新装開園したが、ここに至る経緯には紆余曲折があった。という一連の騒動があったからなんですね。
渋谷区は2009年(平成21年)6月、公園の命名権をナイキ・ジャパンに売却するとともに公園の改修費用の全額を同社の負担とし、有料公園として改修する方針を公表。
渋谷区はそれまで公園に住んでいたホームレスのシェルターへの入所支援や、立ち退きの手伝いを行った。
公共の場である公園を私企業たるナイキのための閉鎖空間化・宣伝媒体として使用すること、ホームレスの強制排除などを問題視するアーティストや市民団体が2010年(平成22年)4月ごろから反対運動を行っている。
2010年(平成22年)9月15日に公園の出入り口9箇所のうち7箇所を閉鎖し、同月24日に行政代執行を実施してテントなどを撤去し改修工事を開始した。
10月14日になり、ナイキは命名権料を支払った上で宮下NIKEパークの名称を使用せず、改修後も宮下公園の名称を存続させることを表明した。
2010年の行政代執行で、ホームレスを強制排除した、これが「Burn.‐バーン‐」を書いた動機だろうと思われます。
ホームレスと天才子役とドラッグクィーン
物語は、かつての天才子役が脚本家・演出家として、演劇賞を受賞するところからはじまります。しかし、受賞はしたものの、次回作が書けない。
周囲の期待は受賞もあって、いっそう高まり、主人公を苦しめます。
授賞式後には、出産間近の妻が運転する車で事故に遭い、病院に入院。
その病院で、ホスピスにいる元ドラッグクィーンと再会します。
ドラッグクィーンとの再会が、主人公がすっかり忘れ去っていた、子役時代の記憶を呼び起こすことになります。
天才子役と言われていた、かつての自分はロボットだった、という設定です。
ロボット天才子役が、ホームレスやドラッグクィーンとの交流を通じて、人間的な感情を取り戻し成長していく様子を、物語では描き出しています。
その中心となるのが、宮下公園に住むホームレスの小屋なのです。
子どもの視点から見た成長物語なのですが、いっぽうで、大人になった脚本家・演出家の苦悩も描かれていて、過去と現在がいったりきたりするのです。
死の香りから抜け出た作品
「ピンクとグレー」は、死の香りただようなかで展開される、芸能人という生き方を選んだ二人の物語でした。自殺した「ごっち」の部屋で、「ごっち」の書いた手紙を読み、「ごっち」とともに「りばちゃん」は朝まで過ごすのです。
そしてこの出来事から、売れない俳優・「りばちゃん」が「ごっち」役に大抜擢されて、「ごっち」の人生を描いた映画に主演して・・・、たぶん死ぬのです。
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著者のあとがきなどでは、あきらかに執筆時期の精神的な不安定さが投影された作品、と明らかにされています。
2作目の「閃光スクランブル」でも、妊娠していた妻が渋谷のスクランブル交差点で事故死したことがきっかけで、才能あるカメラマンがパパラッチに転落するというストーリーでした。
死の香りがただよう前2作と「Burn.‐バーン‐」との大きな違いは、主人公と死との関係性が薄くなっている点です。
人生を教えてくれたホームレスたちとの生活をすべて忘れ去ってしまっている、という設定や、母となる不安で自暴自棄になる妻がさいごは元気な子どもを出産するなど、死との決別を描いているかのようです。
暗い子役時代の過去がホームレスの死に象徴されるとしたら、子どもの誕生は、生きることの喜びや未来への期待の象徴のようです。
意味深な「妊娠した妻」
著者の年齢的なことも関係しているのかもしれませんが、2作目以降「妊娠した妻」が登場します。子どもが欲しいのか、それとも妊娠する妻を持ちたいのか、加藤シゲアキさんの気持ちの断片がポロリと出ているように感じます。
「Burn.‐バーン‐」は、前の2作品と比較すると、すごくわかりやすい作品です。
そのぶん、食い足りないというか、すんなりと入りすぎて面白みにかける部分があります。
それは、主人公の母がすごく良い人だったりする設定にも表れていて、もっとドロドロな感じで読みたかったかな、と思ったりします。
登場人物の人生や内面に破たんがなくて、健全な人たちが登場しているのが「Burn.‐バーン‐」だと感じました。
著者の精神的な安定感があらわれた作品だと思います。
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【加藤 シゲアキ】 「ピンクとグレー」
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